読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

クリスチャンのお金との付き合い方

  「改訂版 金持ち父さん 貧乏父さん」という本を読みました。私はクリスチャンなのですが、聖書の教えでは富はマモンという偶像神の一種だぞ!となっていまして、この本を読みながらそのお金との付き合い方を考えさせられました。

 内容はシンプルで、金持ちになりたかったら給料を贅沢品の消費に回さず、キャッシュフローを生み出す資産、つまり有価証券や不動産の収益物件を買いましょう。贅沢品はそういった資産が生み出す不労所得で購入し、稼いだお金を減らさず勝手にどんどん増えていくようにしましょう。というもの。
 また、いくら金持ちになっても自制心、自己抑制能力がないとすぐに欲望に負けて身を持ち崩すから気をつけろよ!との警告も同時になされています。

 この、手元にお金があると自制心を無くす、という辺りが聖書で偶像神とされているところなのだと思います。また、人を神への信仰ではなく偶像崇拝へとそそのかすのは悪魔の仕業とされており、その悪魔にはこの世の支配権が神から与えられているとされています(エペソ2:2、第2コリント4:4など)。
 「マタイによる福音書」の6章と「ルカによる福音書」の16章では、「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」とあります。ここから富が偶像の一種として捉えられていることがわかります。現代の管理通貨制度にあってはまさに信仰の対象であるといえます。そして、直観的・感覚的にも国境を越えてうごめくグローバル資本は地上の支配者であるなぁと思います。

 さて、この悪魔ですが、クリスチャンにとってはどういうものとして聖書では描かれているのでしょうか。創世記3章にはキリストの到来を預言する原福音と呼ばれる部分があります。その一部に「彼(キリスト)は、おまえ(悪魔)の頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」と書かれていまして、このことはキリストの十字架での死とその後の復活によって成就したとされています。そしてキリストは彼を信じるものを悪魔から解放する者とされています。
 すると、クリスチャンは基本的には悪魔を恐れる必要はありません。そうであれば、悪魔の現われである、人の自制心をなくしてしまうというお金の魔力も基本的には恐れる必要はありません。ばんばんお金持ちを目指しましょう。ただし、クリスチャンは一時的に神への信仰心が薄らいだり、少し心が神から離れてしまったりすると、神は信者を訓練する、とも言われています。この訓練の時には悪魔が信者に悪さをすることを許したりもします。誰にどう訓練するかは神のみぞ知る、です。ヨブ記がその最たるものです。

 別に聖書を出してこなくても、当たり前の結論に落ち着いてしまいました。お金は大事だがそれが信仰の対象になってしまうと、拝金におちいったり、身を持ち崩してしまい、人生を台無しにしそうです。お金とのほどほどの距離感と目的意識が生きていく上では必須のようです。そしてその距離感と目的を教えてくれるのは、クリスチャンにとっては聖書なのでしょう。正しく学べばバランスのとれた考え方でお金に向き合えるのだろうと思います。そんな大金を手にしたことは全くありませんので、全て想像ですが。

改訂版 金持ち父さん 貧乏父さん:アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学 (単行本)

改訂版 金持ち父さん 貧乏父さん:アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学 (単行本)